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【山口県第2の都市はどこ?】~都道府県No.2物語~

山口県の第2都市はどこ!?

 

全国には47の都道府県が置かれています。その47の都道府県内には、行政の中枢として機能する県庁所在地が置かれていますよね。

 

そのうち、ほとんどの県では、県内で人口最多の都市に県庁が置かれています。

 

そんな県庁所在地や最大都市(人口最多都市)は比較的有名ですが、それらに次ぐ第2の都市は?と問われると戸惑う方も多いのではないでしょうか?そう!その県の「第2の都市」って意外と知られていないのです。

 

そんな、都道府県内の第2の都市に焦点をあてた連載がこの【都道府県No.2物語】!人口ランキングデータを基に、今回は『山口県』の第2都市を探っていきます!


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こんにちは!全国各地を旅行して、その土地土地のことを考えている旅人サイファです。毎週月曜日は毎回ひとつの県を取り上げた~都道府県No.2物語~をお送りしています。

 

山口県第2の都市はここ!

山口県第2の都市は…『山口市』です。

 

え!?県庁所在地なのに?トップじゃないの?

 

その通り!山口県は、全国でわずか5例しかない「県庁所在地が最大都市ではない」県のうちのひとつなんです。

 

山口県の歴史

現在の山口県は、律令国で「周防国」「長門国」の2国から成り立っています。これは、江戸時代の萩藩毛利家の領地と一致しています。

 

毛利家は、毛利元就の時代に山陰山陽の覇者として10ヶ国以上に渡る広大な領地を有していました。しかしその元就の死後、徐々に領地を減らします。ついには関ヶ原の合戦で負けた(毛利は西軍の総大将だった)ことにより、周防国長門国のわずか2国にまで削減されてしまうのです。

 

関ヶ原の合戦後、勝者の徳川家康からは、毛利家の領地安堵を約束する使者が送られます。毛利家の当主・毛利輝元は、その約束を真に受けて大阪城から退去、居城の広島城へと引き上げました。

 

しかし…戦後に届いた正式な伝達はその約束を反故にする苛烈なものでした。

 

・毛利家は取り潰し

・領土は全て没収

・東軍に味方していた一族の吉川広家に取り上げた毛利領のうち「周防国」「長門国」の2国を与える

 

という驚愕の内容でした。

 

毛利家は大混乱に陥ります。領土安堵と言われて退去したのに、約束を反故にするとは何事か!?

 

結局、周防国長門国を与えると約束されていた吉川広家が、自らの恩賞を放棄。その2ヶ国を毛利本家に譲るという形で決着します。関ヶ原合戦前に120万石あった毛利領は、わずか38万石にまで減らされることになるのです。

 

この徳川への激しい恨みが、240年後、倒幕という形で噴出。長州は反徳川幕府の急先鋒として苛烈に働き、やがて明治維新を達成することになるのです。

 

山口県の県域は、そんな毛利家の領土がそのままひとつの県として作られたものなのです。

 

山口県の県庁所在地

山口県の県庁は「山口市」に置かれています。この「山口」という町は、実はいわく付きの町なんです。

 

前述の通り、約束を破られて周防国長門国に追いやられた毛利家ですが、徳川によるいじめはこれで終わりませんでした。

 

当時、領域内で最大の町であったのが、ここ「山口」でした。当然毛利家も、ここ山口に城を作り本拠地する予定でした。しかし、それを徳川幕府に伺いを立てると…なんと結果は却下。日本海に面した寒村、萩を本拠地にするよう通達されてしまうのです。

 

萩は、当時のメイン街道「山陰道」からも外れた寂れた港町。毛利家は、泣く泣く萩へと移り、そこに城を建て本拠地としました。

 

しかし、江戸時代末期。徳川幕府の力が弱まったのを見て、毛利家は敢然と行動に移します。なんと、幕府を無視して萩から山口へと本拠地を勝手に移してしまうのです。これは、武家諸法度違反で、本来ならば藩取り潰しもありうる重罪です。しかし彼らは「喧嘩上等」とばかりに、幕府を無視!藩祖・毛利輝元以来の念願の地、山口へ移るのです。

 

その後、明治維新が成ると、山口は山口県の県庁所在地となり、現在まで続く県政の中心地として存続するのです。「山口」は倒幕反抗のシンボルの町という意味もあるのです。

 

その他第2都市候補 

下関市

九州との海峡の町「下関市」は山口県内人口ランキングで上位候補の筆頭です。九州へ渡る玄関口のため、九州と本州を行き来する人間誰もが通るため、常に新しい文化に開かれた町という側面もあります。

 

宇部市

コンクリートの町として知られるのがここ「宇部市」。コンクリート生産で国内トップクラスのシェアを誇る「宇部興産」の企業城下町として雇用が保証されているのも強みでしょうか。

 

・岩国市

広島県との県境にある「岩国市」も有力候補です。錦帯橋を経て、はじめとした観光資産に恵まれると共に、米軍基地の町という側面もあります。

 

人口ランキング推移

 

こちらは、1980年~2010年までの山口県内人口ランキング推移ですが…これ非常に面白いデータですね。

 

これ…びっくりしませんか!?

 

驚くべきことに、1980年の段階では県都山口市」は県内3位!なんと宇部市にも負けています。さらに、4位の「岩国市」5位の「(旧)徳山市」との人口差もわずかですので、場合によってはさらに5位以下に沈んでいた可能性も…!

 

そんな山口市も、平成の大合併を経て人口増加に成功!現在は県内2位の座を堅持しています。

 

その一方、県内最大都市はずっと「下関市」がキープ!山間の盆地でアクセスが良くない山口市よりも、九州との海峡の町である「下関市」の方がずっと人口も多かったんですね。

 

最新!山口県第2都市はここ!

それでは!2021年10月の人口ランキングから最新の山口県内人口データを見てみましょう! 

 

第1位 下関市 25.1万人(全国103位)

第2位 山口市 19.3万人(同138位)

第3位 宇部市 16.1万人(同169位)

第4位 周南市 13.6万人(同205位)

第5位 岩国市 12.7万人(同216位)

 

最新データでも、山口県内1位は「下関市」、2位は「山口市」という形は変わらずでした。下関市は、賑わっているとは言え県域の端の端。県庁を置くには不都合だったのでしょうかね。それとも、反抗のシンボル「山口」に県庁を置くのは長州藩の気概でしょうか。

 

と、言うことで…山口県第2の都市は…山口市でした!