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【宮崎】超おすすめ!『西都原考古博物館』は魂を揺さぶられる展示が魅力!

『西都原考古博物館』は魂を揺さぶられるような展示が魅力の考古博物館!

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宮崎県西都市には、日本国内でも屈指の規模を誇る遺跡「西都原古墳群」があります。そんな古墳で発掘された資料を保存展示しているのが、ここ『西都原考古博物館』です。

 

筆者紹介

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こちらは【秋の南九州周遊旅行記】からの記事をお届けしています。

 

 

『西都原考古博物館』とは?


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宮崎県西都市宮崎市の北方に隣接するこの地には、九州のみならず全国的にも屈指の規模を誇る古墳群が存在しています。それこそが「西都原古墳群」!なんと大小319もの古墳が見つかっている、考古学の一大聖地でもあるんです。

 

そんな「西都原古墳群」の片隅にあるのが、今回訪れた『宮崎県立西都原考古博物館』ですが…ここが素晴らしかった!古代史ファンはもちろん、全ての歴史ファンに是非とも行って欲しい、おすすめの考古博物館なんです!

 

『西都原考古博物館』の開館は2004年。まだ新しい施設です。こちらでは、「西都原古墳群」から出土した発掘資料の展示だけでなく、南九州、日本全土、さらに東アジアまで広範囲にその歴史の流れを感じることができます。

 

その展示方法も独特で、ここ『西都原考古博物館』には、常設展示という概念も、拝観順路という概念もありません。博物館の監修をされたという「北郷泰道氏」の発案で、常に新しい情報を発信し続ける「常新展示」という手法がとられているのです。観覧者は、常に違った新しい情報を直感的に感じられるような非常に面白い展示がなされているんです!

 

『西都原考古博物館』へのアクセス/駐車場

 

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『西都原考古博物館』は宮崎県西都市、西都原古墳群のある台地の片隅に作られています。

 

お車の場合は、宮崎自動車道の西都ICから10分ほど。西都市の中心部の北西に位置しています。博物館の前に広い無料駐車場もありますので、車でのアクセスは便利です。

 

公共交通機関ご利用の場合は少々不便です。JR日豊本線宮崎駅から路線バスで「西都バスセンター」へ。そこからはタクシーに乗り換えてのアクセスになります。

 

『西都原考古博物館』の見どころ!


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『西都原考古博物館』の魅力は、その展示の素晴らしさに尽きます。

 

こちらの展示は、主幹を勤められていた「北郷泰道」氏の監修によるもののようですが…これがまた素晴らしかったんです。展示パネルは撮影オーケーでしたので、筆者に刺さりまくったものをいくつかご紹介します。

 

縄文時代。この国に住む人々は、自然と共生し、豊かな森とともに狩猟採集の生活を送っていました。中でも弓矢は獲物を取るための大切な道具。

 

しかし、自然の恵みは一定しません。その日その年、獲れた分だけをありがたくいただくという、慎ましい生活を送っていました。

 

しかし。

 

そんな大切な狩猟のための道具、弓矢と鏃は…いつの日か隣人を射るものへと姿を変えていました。本来は、狩猟のために作られた道具が…気が付いたときには「武器」へと変わっていたのです。


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例えば鏃(やじり)。

この獲物を獲得するための大切な生活の道具を、何故、人は人に向けて引き絞るようになったのだろうか。

この深刻な課題を解く鍵を、考古学に求めたとしても、決して失望することはないだろう。

なぜ人類は…日本人は、人間同士で弓矢を撃ち合うようになってしまったのか?

 

その裏には、現代人が忘れてしまった、人類最大の天敵の存在がありました。

 

その天敵とは…何だか分かりますか?

 

それは…『餓え』!!

 


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それにしても、飢餓を実感することが難しい時代になった。死に至る餓えに見舞われないことは幸いなことだけだけれど、逆に飽食に無感覚になることは不幸だということは確かである。そうした時代だから、餓えて死にゆく人々の存在がこの地球上に在ることを、痛みを持って確かな想像力でつかむことである。そして、その想像力から新しい明日を築く創造力へと、押し上げる力を持てばよい。

 

そもそも、日本に土着していた縄文人たちの生活空間は「輪」であり、「和」でした。しかし、ある時を境に…「輪の集落」は姿を消します。


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縄文のムラは、広場を中心として円形あるいは輪を描くように形成された。環状集落は、文字通り家族を単位とする家々の「輪」であり、人間の「和」の具体的な姿だった。でも、現代を生きる私たちは、遠くその事を忘れて、久しい年月を費やしたものだ。何とか私たちは、それを取り戻そうと努力したが、果たして君たちに実りをもたらしたであろうか。

そんな「輪の集落」はどこへ姿を消したのか?そこには、新たに日本列島へとやって来た集団がもたらした、「あるもの」が影響を及ぼしています。

 

それは…「稲作」!水田による米作りが世界を変えたのです。


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水田耕作は、単なる米食の問題ではなく、水田を拓くための計画的な土木工事や灌漑工事にはじまり、収穫米の貯蔵(高床式倉庫)までの管理体制など、集団の組織立てや社会構造の変革こそが大きな意味のあることだった。そのことにのり、政治的に一層整備された社会が生み出された。

しかし、水田耕作に依存しない社会では、伝統的な畑作や狩猟・採集に依存し続けることで平野部社会と内陸部社会との地域性はより鮮明になっていく。

二極化の芽はこうして生まれた。

 

とは言っても、この水田による社会革命が、一律に日本全土に及んだ訳ではない。水田を多く抱えることができたムラと、いまだ畑作に頼るムラ。ここに、弓矢と鏃を人に向けなければならなくなった要因がある。それは…『貧富の差』である。


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7:3社会の構造

地域の「質」の違いを構造的に考えることは、弥生社会像を多様な視点で理解することにつながる。水田耕作が始まっても、すべてが水田農耕社会に移行したわけではない。例えば7(水田):3(畑作)社会と3(水田):7(畑作)社会では、自ずとその質が異なるはずである。南九州は3(水田):7(畑作)社会であったと考えられる。

 

しかし、注意をしておかなければならないのは、3(水田):7(畑作)社会の中にも宮崎平野部を中心とした地域や、都城盆地北部には7(水田):3(畑作)の集落が存在したであろうことである。

 

こうした集落を核とした勢力がやがて古墳時代になり前方後円墳を築造することができたと考えて良い。そして、3(水田):7(畑作)集落は在地的なかつ伝統的な色合いを強くし、独自の在地墓制である地下式横穴墓を生み出すことになる。

 

富めるものは、食糧を蓄え、また新たな人口を生む。そしてさらに国力を高める。そして、周辺に米を持たない弱小村落を見つけると…彼らはそのわずかな富を奪おうと…人に弓矢を引き絞り始めるのである。


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大きな力が働き始めた。

ムラとムラが互いに緊張感を持ち、クニが芽生える。

 

こうして…ムラは力を蓄え、周辺のムラを吸収し、やがてはそれらひとつを頂点とする「クニ」が生まれる。そしてさらにクニとクニが争い力を集約させて完成したのが…ヤマト!

…いかがですか!ワクワクしませんか?この展示!『西都原考古博物館』は、こういった解説パネルと共に、それを裏付ける考古学資料がふんだんに展示されているんです!

 

この施設、何がすごいって、これだけの魅力的な展示にも関わらず入館無料というから驚異的!

 

ちなみに、これら解説パネルの文章も監修していた「北郷泰道」氏は、2021年に68歳という若さで亡くなられています。『西都原考古博物館』の展示にあまりにも感激した筆者は、北郷氏にコンタクト(お手紙)を書こうとしたほど。うーむ!一度で良いから直にお話を伺いたかった!


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最上階には、「西都原古墳群」を一望できるレストランもあります。古代米を使ったお料理など、比較的安価なメニューが並んでいましたので、お時間があればこちらでランチをいただくのもおすすめです。


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展望台から西都原を眺めます。この台地の上に、300を超える古墳が眠っているとは…かつてこの地にあったクニの繁栄を、思わずにはいれません!

 

宮崎県にお越しの際は、ぜひここ『西都原考古博物館』へも足をお運びください。その素晴らしい展示に…震えますよ!超おすすめです!

 

 

【秋の南九州旅行記】2日目。『西都原考古博物館』は非常に魂に刺さる施設でした。筆者はこの後、「西都原古墳群」へと足を向けました。ここは古墳だけでなく、秋らしい絶景が広がるスポットでもあるんです!次回もお楽しみに!

 

『西都原考古博物館』の基本情報

アクセス

宮崎自動車道 西都ICより10分

JR日豊本線 宮崎駅より路線バス+タクシー

 

営業時間

9:30-17:30

 

定休日

毎週月曜日(祝日に当たる場合はその翌日)

祝日の翌日

年末年始(12/28-1/4)

 

入場料金

無料

 

駐車場

無料駐車場あり

 

アドレス

宮崎県西都市大字三宅字西都原西5670

0983-41-0041