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【歴史コラム】白河以北一山百文…東北を侮蔑した言葉への反感から『河北新報』は生まれた!

東北の人間にとって『白河』という言葉は特別な意味がある!?


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福島県白河市。ここは、東北で生まれ育った人間にとって、特別な意味を持つ町です。

 

宮城県最大の発行部数を誇る新聞とは?

東北地方、特に宮城県で最も発行部数の多い新聞をご存知ですか?

 

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それがこちら!県内で圧倒的なシェアを誇るのが、地方紙『河北新報』です。なんと宮城県内で7割以上のシェアというから驚きです!


東北地方6県の合計発行部数は44.3万部と言いますから…圧倒的な存在感示している新聞と言えますよね。

 

この『河北新報』の河北って…なんのことだかご存じでしょうか?社長の名前?創業地?

 

いえいえ。実はこの『河北』という言葉は…西日本の人間から与えられた侮辱の言葉に端を発しているのです!

 

河北新報』の「河北」とはなにか?


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古代、東北地方は、ヤマト朝廷の支配が及ばない、蝦夷という野蛮人(※)たちが暮らす異世界の入り口と考えられてました。

 

そんな、ヤマト朝廷と蝦夷の国の境界線に作られた関所のうち、最大のものが『白河の関』です。ここは、古代ヤマト朝廷と「陸奥(みちのく)」の境界線の象徴とも言える場所でした。

 

かつて古代世界では、この関所より南はヤマト朝廷の勢力圏内。しかし、これより北は蝦夷と呼ばれた異民族が支配する野蛮な世界。

 

この関所を越えることの意味は…現在でいう国境を越えることと同義でした。

 

当時のヤマト朝廷の中心地である奈良や京都から見た「陸奥(みちのく)」は、遥か遠くの最前線の向こう側。開発の及んでいない未開の土地に、文化を持たない野蛮な人々が住んでいる…と恐れられていたのです。京都の貴族たちは彼ら蝦夷を野蛮族として蔑んで見ていたのです。

 

そんな西日本の意識は、明治時代に入るころまであまり変わりませんでした。

 

東北地方は「白河の関の向こう側」として、そこに住む人々のことを未開の山猿かのように扱う人物も多くいたんです。

 

江戸時代末期、薩摩や長州の率いる明治新政府軍と、幕府側に立つ諸藩は内戦状態に入ります。いわゆる戊辰戦争ですね。

 

この頃、新政府軍に抵抗した東北緒藩に対して「白河以北一山百文」という言葉が広まりました。これはつまり、「白河から北の地域(=東北全体)は一山百文程度の価値しかない」という意味。つまり「東北なんぞ、何の価値もない山猿たちが暮らす国」と言われているに等しい!最大級の侮蔑の言葉でした。

 

河北新報』の誕生

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明治30年、経営難に直面していた「東北日報」という新聞社を引き継ぐ形で、新たな新聞社がスタートしました。この時、創業者・一力健治郎は「東北振興」を社是とした紙面作りを志します。

 

この時に用いられたのが…「白河以北一山百文」というかつて東北地方に投げられた屈辱的な言葉でした。この言葉の中から「河」「北」の二文字を取り抜き名付けたのが『河北新報』!

 

これには、かつて侮蔑された東北地方の民へ、「奮起」と「自立」を込めて名付けられたとも伝わっています。それくらい「白河以北一山百文」という言葉の与える侮辱感は強かったのでしょう。東北人たちの、負けん気の強さを伺えるエピソードですよね。

 


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2022年夏の甲子園高校野球大会で、東北地方の県として史上初めて、宮城県代表の仙台育英高校が優勝を果たしました。

 

この時も「ついに優勝旗が白河の関を越えた!」と話題になりました。東北人にとって「白河の関」とは、これまで虐げられ軽視され続けた侮蔑の象徴でもあるのです。

 

現在、宮城県はじめ東北地方で最も発行部数の多い地方新聞である『河北新報』。何気ないその新聞名や社名には…実は東北人たちの意地が込められているのです。