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【鎌倉殿の13人】ざっくりコラム 第44話 運命は神仏の前で交錯しようとしている

こんばんは!旅人サイファです!

本日もNHK大河ドラマ【鎌倉殿の13人】ざっくりコラム最速でをお届けします。

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ついに…雪の鶴岡八幡宮の日がやって来てしまいました。

 

歴史の教科書にも載っている、鎌倉三代将軍・実朝の暗殺事件。

 

教科書に載っている定説では、実行犯は二代将軍・頼家の次男、公暁(こうぎょう)。

 

彼は、父・頼家が暗殺されたこと、そして本来自分へ回ってくるはずの将軍の座を奪われたことを恨み、その本懐を遂げようとしていたのです。

 

しかし…今作『鎌倉殿の13人』は、やはり一味違う展開を見せました。まさに作家・三谷幸喜の本領発揮!

 

北条義時は、なんと怨みを抱く公暁の企みを知っておきながらあえて泳がせるという…なんとも恐ろしい方法を決定をするのです。これはまさに「修羅の道」でした。

 

将軍・実朝は、初代将軍・頼朝が作り上げたこの鎌倉の政権を京都移転させるという驚天動地の計画を打ち明けます。次代将軍も京都から招き、なおかつ、京都へ政権そのものを移転させる。これでは、頼朝と東国武士たちが夢見たユートピアは崩壊してしまうこと必定…。

 

頼朝の薫陶を直接受けていた義時にとって、これは到底認めることができない移転案でした。

 

義時はこの時、修羅の道を行くことを決めます。

 

彼は、公暁による将軍実朝暗殺を実行させ、さらにその実行犯公暁をも討ち取る。

 

義時はこの時点で鎌倉の象徴、鎌倉の根源のはずの「源氏」との決別を決めたのです。

 

こうして…各者が様々な思惑を抱えたまま、1219年1月27日を迎えます。この日…鶴岡八幡宮で行われた右大臣拝賀式の場で、惨劇は起きます。

 

しかし、本来太刀持ちとして式に参列するはずだった北条義時の姿は、そこにはありませんでした。

 

鎌倉幕府の公式文書である「吾妻鏡」には、こう書かれています。

 

参列の直前になって、義時は体調不良を訴え、太刀持ちの役割を源仲章と代わっている…

朝廷からの正式な使者をお迎えする重要な儀式で、直前に役割を降りるなどということはあってはならないこと。一体、当時何が起きていたのか?

 

そして物語は次回…鎌倉最大の悲劇の日を…迎えることになるのです。

 

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