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【コラム】『道の繋がりはヒトの繋がり』『ヒトの繋がりは文化の繋がり』

『道の繋がりは人の繋がり』

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先日、当ブログでいくつかの記事にまとめた【県境シリーズ】。

地図上では隣接している県境でも、中には自動車道路が繋がって居なかったり、鉄道が繋がって居なかったり…と、なかなか興味深い県境をたくさん見つけることができました。

 

記事を公開したところ、様々なところで反響やご意見をいただき、筆者もその都度「新しい気付き」をもらうことができました。

今回は、そんな『県境』から、人と文化の交流について考察してみます!

 

日本三難県境

県境の中には、急峻な山岳地帯が横たわっており、昭和になってからようやくまともに行き来ができるようになった県境や、現在に至るまで、徒歩でしか越えることができない県境なんかも存在しています。

 

例えば、筆者が考える『日本三難県境』

  • 『福島-群馬』県境
  • 『埼玉-長野』県境
  • 『富山-長野』県境

これらは、現代になっても容易には県境を越えられない難所ばかりです。

 

『福島-群馬』県境

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この県境は、現在でも車道も鉄道も通されていません。県境を越える手段は…徒歩のみ!

令和の現代になっても、ここは徒歩でしか越えることができない日本唯一の県境になっています。

 

『埼玉-長野』県境

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この県境は、車道こそ通されているものの、その道は未舗装の林道ただ一本が通じているのみ!

崖沿いに作られた細い林道を、車でも4時間近くかけて峠越えをしなければ行き来できません。

 

『富山-長野』県境

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この県境に至っては、3000m級の北アルプス山脈を越えなければならないため、まさに命懸けの県境越えをしなければたどり着けないという難路です。

現在は立山黒部アルペンルートという観光ルートが敷かれ、トロリーバスやロープウェイを利用して、ようやく県境を越えることができるようになっていますが…それまではアルピニスト以外は寄せ付けない難所でした。

 

『群馬-新潟』県境

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また、かつて国内有数の難県境であったのが「群馬県新潟県境」です。この両県の県境は、現在でこそ高速道路や新幹線・鉄道が通り、難なく通過することができるようになっています。ですがこの県境、実は戦後に至るまで、まともに通過できる道路は存在しませんでした。

 

この『群馬-新潟』県境を一般人が難なく越えることができるようになるのは、昭和、とくに田中角栄登場以降の話です。

それまでは、まともに自動車で行き来できる道路はゼロ!清水トンネルを使った国鉄上越線での行き来しかできませんでした。(※国道17号線のフルシーズン開通は昭和34年)

 

難県境の特徴

そんな『日本三難県境』や、一昔前の『群馬ー新潟』県境を見渡すと…ある法則性が見えてきませんか?

 

それは、「一県と一県の県境」ではなく、「地方と地方の境」にもなっているということ!

 

これら険しい県境は、はるか昔から、地方と地方を分断し、人の往来や文化の交流すらも遮断してきた、まさに現在の世界でいう「国境の壁」として、そこにそびえていました。古代世界においては、この境界線から先は「別の国」であり、あるいは「別の世界」ともいえるくらい、はっきりとした境界線だったのです。

 

道が繋がっていないところは人が行き来していない証拠

かつて、SNS上で地理談義をしていた際、ある方から、こんな言葉を伺ったことがあります。

 

『道が繋がっていないところは人が行き来していない証拠』

 

元来「道」とは、そこを往来するヒトが踏みつけた足跡が踏み固められ「自然発生」するものです。為政者が意図して作ろうとしたものではなく本来は、「いつの間にか開けているもの」。つまり、そこを行き来する理由があったから、ヒトはそこを往来し、やがて「道」となっていくものなのです。

 

仮に、1ヶ月にひとりしか往来しないような場所なら、そこは下草ボーボーに生えたままで、いつまで経っても道にはなりません。

しかし…1ヶ月に1万人が往来していたらどうでしょう?その道は踏み跡ができ、獣道となり、やがて早々に立派な道へと姿を変えることでしょう。

 

古くから開けていた「道」は、隣村、隣国への連絡、交易、交流というものが自然発生していました。そのため、文化は混ざり合い、自然、同じような風習、同じような言語を用いるようになるのです。文化が似るということも、よくある例ですよね。

 

逆に言えば、理由がなければ、ヒトはそこを行き来しないものなんです。わざわざ難路を進み県境の峠を越えてでも、行く先に価値を見出ださなければ、ヒトは往来しないのです。

 

『埼玉-長野』県境が荒れた林道一本でしか繋がっていないのはなぜか?

例えばなぜ『埼玉-長野』県境が現代でも細く荒れ果てた林道一本でしか通じていないのか?

それは、敢えて厳しい言い方をすると「お互いに興味がない」からです。

 

埼玉県は、西の長野県側には背中を向けて、東側(反対側)の東京や関東平野にばかり目を向けています。

一方の長野県も、埼玉県に興味は示さず、群馬県山梨県新潟県岐阜県などの隣県との交流にばかり注目しています。

 

なぜ興味を示さないのか?

埼玉県にとってみれば長野県は、そして長野県にとってみれば埼玉県は、お互いに「直接実益」をもたらす存在として認識していないから…でしょう。

 

ヒトは「実益」がなければ「興味」も生まれません。「興味」がなければ、わざわざ難路を通ってまでそこへ行こうとしないものなのです。『難路を越えてまで行き来する価値』を、お互いに見出だしていないのです。

 

仮に、埼玉県秩父地方に、人口数100万人規模の大都市があったら?逆に、長野県東南部に一大レジャースポット(ディズニーランドのような)があったら?

 

埼玉県と長野県は、それぞれの県民の実益を満たすために、躍起になって、どうにか交通路を繋げようとするはずです。

 

道を繋げれば人が繋がる…『群馬-新潟』県境の例

その成功例が『群馬-新潟』県境です。

 

新潟県民は、南に広がる温暖な関東平野と、東京という大都市のもたらす「実益」を強烈に欲していました。そのエネルギーが、新潟出身の田中角栄という政治家を通じて、関東への風穴建設を強力にバックアップしました。

 

その結果が…「関越自動車道」であり「上越新幹線」です。県民が強烈に欲した「東京」への直通路。そのエネルギーが、高速道路や新幹線という形となって結実したのです。

 

その結果がどうなったか?

それまで、北陸地方の北端に過ぎなかった新潟県は、今や見事に「甲信越地方」として、関東地方の天気予報に表示されるまでになったのです。まさに「地方」の壁をぶち破った一例と言えるでしょう。これは画期的で特筆すべき事例だと思います。

 

それもこれも、その根幹は「道」にあります。それまで通行不可だったような険しい県境を越える「道」ができたことで、初めて人が動き文化も動くのです!

 

まとめ

令和という現代世界に至ってもなお、往来のしにくい、先に挙げた『日本三難県境』のような険しい県境。

 

これらの県境は、ある県とある県の境にとどまらず、文化圏、経済圏、言語圏など、現在でもなお、あらゆるものを分ける境界線になっています。

 

「道の繋がりはヒトの繋がり」

「ヒトの繋がりは文化の繋がり」

 

「道」とは、単なる交通路ではなく、人と人が繋がる文化の架け橋でもあるのです。そして、その「道」が繋がっていない県境とは…現代に至ってもなお、ある種の「国境」「別世界」を分ける境界線として、人と文化を阻んでいるとも…言えるのです!