『政』と『祭』が共に「まつり」と読むのはなぜか?
政治、政策、国政、政務…『政治』関連で使われる「政」という漢字には、「まつり/まつりごと」という読み方があります。
まつり…?なんで政治の「政」がまつりなんでしょう?ちょっと違和感を覚える読み方ですよね。普通、「まつり」と言われると「祭」の字を思い浮かべますよね?
でも、よくよく調べてみると!『政治』と『祭り』は根源は同じものだったんです!一見、全く接点が無さそうな両者が…?いったいどういうこと?
「日本」の根幹となる産業とは?
古代日本を語る際、この国の根幹を支える「ある産業」を抜きにして考えることはできません。日本という国は、この「産業」をするために作られたと言っても過言ではないのです。
その「ある産業」…?皆さん、これなんだと思います?
それは…「稲作」!つまり米作りです。
日本という国は『米作り』をするために作られた国といっても過言ではないのです!
「日本」は森の国!
元来この日本列島に生活していた原住民は、いわゆる「縄文人」と呼ばれる人々です。彼らの生活は基本的に「狩猟・採集」。狩りで獣や魚を獲り、森で木の実などを集めて食料とする生活をしていました。
あまり意識している人は多くありませんが、日本列島は「森の国」です。これ、世界中で日本と同じような緯度の国を見ると、とても良くわかります。
こちらは、Twitterにて「にゃんこそば」さん(@ShinagawaJP)が公開されていた、アジアの森林地帯を可視化した地図です。
こうして見ると…中国中央部、インド北部、中央高原、さらに西へ行くとトルコ、エジプト、北アフリカ…これらは、現代はほぼ全て乾燥地帯で砂漠が広がっています。しかし!同緯度の国々と比べると、日本は豊かな水に育まれた「森の国」を形成しているのです。
日本列島の原住民である「縄文人」は、この豊かな森の国で狩りをし、採集をしながら、自然と共に生活を営んでいました。
人類最大の敵は「飢え」!
そんな日本列島へ、大陸からある特殊な技術をもった集団が到来します。
その集団とは、後に「弥生人」と呼ばれることになる人々。彼らは「稲作」という特殊な技術をこの国にもたらします。
それまでの縄文人たちは、豊かな森という自然に依存した生活を送らざるを得ませんでした。
そんな「縄文人」の生活様式と「弥生人」の生活様式では、決定的に欠けているものがありますが…お分かりになりますか?
それは「食料の安定供給」という点。縄文生活は自然への依存度が高いため、気候や災害などの要因によって、充分な食料を安定的に確保することできずに、常に「餓え」との戦いを余儀なくされていたのです。
弥生人がもたらした「稲作」という技術は、そんな古代人類最大の敵「餓え」からの解放をもたらします。
稲作によって産み出されるコメは、稲1株でおよそお茶碗1杯分。水田1反からはなんと540㎏もの米を生産できます。(※現代品種の数値)
しかも!このコメの最大の特色が「保存が効く」という点。
これによって、大陸からやってきた弥生人は、その豊富なコメという食料を活かして爆発的に人口を増加させることに成功するのです。
しかし、そんな夢のような「稲作」にも、いくつか欠点があります。そのうちのひとつが「組織力」を必要とすること。
田んぼを作るには、まず野山の木々を切り倒して、農地を拓かねばなりません。さらに畝で田を囲み、川から水路を引き水を引き入れ、それから種を撒き苗を植え…という、個人ではとても及ばない、組織的な重労働が必要になります。
つまり、大規模な、稲作をスタートさせるには「集団組織」の力が必須なのです。
「稲作」が日本と天皇を作った!
集団が効率良く動くためには、リーダーが必要です。リーダーが民衆を指導し、土木工事を行い、治水を行い、稲作を指導する。
こうした集団は、やがて「ムラ」を作り共同でコメを生産するようになります。そして作られたコメは大切な財産として稲倉に厳重に保管保存管理されます。こうし、「ムラ」のリーダーはやがて「豪族」としてムラの代表者になるのです。
このように、日本各地に点在した「ムラ」は、争いや統合を繰り返し、やがてさらに大きな王の率いる組織…ムラの集合体である「クニ」へと進化します。
最終的にこの日本列島全体を治めた「クニ」を率いた大王こそが…やがて「天皇」と呼ばれる存在になんです。
「天皇」の役割が「政」と「祭」!
この大王(天皇)の大切な役割が、民衆を飢えから救うことでした。
そのために、天皇に託された役割がふたつあります。ひとつが水田と財産の管理。そしてもうひとつが、思うようにコントロールできない「天候」を神に祈ることでした。
山を拓き水路を整え、できるだけ多くのコメを収穫できるよう水田を管理すること。そして、水田から収穫したコメを税として徴収し管理する。これこそが、古代日本における「政治」の原型でした。
それに加えて…
春には山の神をお迎えする田植祭り
初夏には雨を乞う雨乞い祭り
夏には、害虫を抑える虫祓い
秋には、収穫を感謝する神嘗祭
こういった数々の宗教儀式は、現在まで引き継がれている「お祭り」の原型です。
どちらも、「飢え」から民衆を守るために課せられた大王たる天皇の役目。まさに「政=祭」なのです。共におなじ「まつり」であるという意味が、分かって頂けたかと思います。
天皇や朝廷の指導者層の役割は、国を豊かにし、人民を飢えから救うこと。そのために行うのが「政」であり「祭」でした。
古代日本は、まさに「政祭一致」。「政」と「祭」は表裏一体で、同じ目的をもつ同一のもものだったのです!
「政事」と「祭事」…今では全く違う世界に見える両者が、同じ「まつりごと」なのは、こういった背景があるから!
政治も文化風習も、この「日本」という国の原点は…まさに「コメ作り」にあるのです!