旅人サイファのお出かけブログ

R3.5.15 ブログランキングサイト国内旅行ジャンル第1位獲得!旅行プランナー旅人サイファが送る『旅行に行きたくなるブログ』です!ぜひお立ち寄りください♪

スクロールして項目をお選びください!

激烈!『前橋VS高崎』!群馬県庁は元々「高崎」だった!?

『前橋VS高崎』のライバル関係は100年以上続く因縁から!

いやはや…恐ろしいものです!群馬県内のトップ争い!同一県内でのライバル関係は、常に相手が視界に入ってくるために、苛烈な争いになりやすいですよね!


f:id:traveler-cipher:20220818165326j:image

 

例えば…

青森県の「津軽VS八戸」の争い。

埼玉県の「旧浦和VS旧大宮」の争い。

長野県の「長野VS松本」の争い。

 

これらは、県としての成立過程で、諍いの種を残したまま同一県にされたために、現代までその火種が燻っている顕著な例です。

 

同じことが…北関東「群馬県」でも起こっています。

 

それが『前橋VS高崎』の熾烈なライバル関係!これ…かなり根深いんです。

 

現在の群馬県庁は前橋市!経済の中心は高崎市!人口トップはどちら?


f:id:traveler-cipher:20220818101308j:image

現在は、群馬県の県庁は「前橋市」に置かれています。県庁だけでなく、国の出先機関や大企業の支店なども、その多くが前橋に置かれているので、当然、県内のあらゆるものが前橋優位だと…思うじゃないですか。

 

だがしかし!

 

実際はそう上手くいっていません!

 

ライバルの「高崎市」は、新幹線停車駅を持つという強みを押さえて、県内随一の商業経済の中心都市となっています。それどころではなく!2006年には前橋市を抜いて、県内最大の都市/人口が最も多い市へと成長しました。

 

高崎市にとってみれば、県庁所在地という「名」こそ前橋市に取られているが、「実」は断然高崎市が優勢!なぜ、前橋なんぞに県庁が取られているのか?と不満が燻っているのです。

 

群馬の県庁所在地は高崎だった!?

と、いうのも、実はここに衝撃の事実があります。

 

なんと!明治時代に、初めて「群馬県」が作られた際、群馬県庁は『高崎』に置かれていたのです!!

 

明治4年、第一次群馬県は、高崎を県庁所在地として発足しました。その県名の由来も、高崎が属していた「群馬郡」の名称から取られています。

 

しかし明治5年…

 

突如として、群馬県の県庁は「前橋」へと引っ越すことが決まります。

 

その要因は、高崎県庁となるべき場所が、陸軍に取られてしまったから!

 

群馬県発足当初「群馬県庁」が置かれていたのは高崎の中心部にあった「高崎城跡」でした。関東の北の守りとして、江戸時代を通じて機能していた高崎は、新たに作られた群馬県の中枢になるべく、県庁としても整備されていたのです。

 

だがしかし。

 

ここに軍部から横やりが入ります。

 

県庁として機能していた高崎城跡が、兵部省(軍部)の管轄下に入れられてしまうのです。

 

まさに青天の霹靂!突如として県庁の土地を失った群馬県は、苦肉の策として「県庁そのものを前橋に移す」ことを決めます。

 

こうして、わずか1年足らずで、群馬県庁は高崎の手から離れてしまうんです。

 

明治6年になると、群馬県は一度解体され、南部の埼玉県西部と合併「熊谷県」とされてしまいます。

 

しかしわずか3年後、明治9年になって熊谷県が解体されると、不死鳥の如く群馬県が復活!現在に続く第二次群馬県として再スタートを切ります。

 

この時、新生群馬県の県庁はまたもや「高崎」に置かれます。やはり東京からも近く、交通の便が良いというのは大きなアドバンテージだったんでしょうね!

 

大金の力で県庁を強奪した前橋!

だがしかし…またもやここで横やりが入るのです。

 

今回の横やりは…「大金」を持ってやって来ました。

 

明治時代、日本の最大の輸出品は「生糸」でした。蚕の作る「シルク」ですね。

 

実は前橋周辺は、日本屈指の生糸生産地。生糸という強い産業を持っていた前橋は「下村善太郎」という人物を中心に、前橋への県庁移転運動を起こします。

 

このとき下村らは、生糸で得た大金を積み上げ「県庁移転費用は全て前橋で持つ!」というほどの力の入れっぷり!

 

こうして明治14年、正式に国から「県庁を前橋に移す」という指令が出て、群馬県の県庁は前橋に移されます。

 

高崎の人間にしてみれば…「金の力で前橋に県庁を奪われた!!」のです!面白いはずがありません。

 

この時の県庁移転騒動は、大揉めに揉めます。なんと裁判まで起こされる始末!しかし結局、高崎の主張が通ることもなく県庁移転は決行され…現在まで、群馬県の県庁は前橋に置かれているのです。

 

現代まで続く『前橋VS高崎』の激烈なライバル関係。利根川を挟んで対峙する両市の間には、こんな抜き差しならぬ因縁があったのです!

 

他県の人間から見ると、

 

「お隣なんだから仲良く合併でもすれば良いんじゃないの?」

 

…と思ってしまうものですが、特に高崎市の抱える恨みは非常に深い!

 

特に、経済と人口で逆転してからは、常にライバルの前橋市を恨み!嘲り!そして見下すことで、その溜飲を下げています。

 

『前橋VS高崎』の激烈なライバル関係は…しばらく収束することは無さそうですね。