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【鎌倉殿の13人】ざっくりコラム 第32話 闇落ち!政権の安定のためには対抗馬を消す…!

こんばんは!旅人サイファです!

本日もNHK大河ドラマ【鎌倉殿の13人】ざっくりコラム最速でをお届けします。

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まさか頼家が息を吹き返すとは…!

 

頼家が意識を失っている間に、比企一族を滅ぼし、比企から出ている頼家の妻やその子も根絶やしにした北条勢。

 

当時の御家人たちはその数年前に、落馬してから一度も意識を取り戻さなかった頼朝の例を間近に見ています。

 

誰しもが…頼朝と同じように頼家もこのまま意識を取り戻さずに死ぬことを予見していました。もちろん、前回討伐された比企も。

 

意識不明の頼家を蚊帳の外にしてその後の主導権を争った北条VS比企でしたが…まさか比企を討伐した直後に頼家が意識を取り戻すとは!勝利に沸く北条一族と味方した御家人たちも夢にも思っていませんでした。

 

意識を取り戻し、事情を知った頼家でしたが、もう後の祭り。比企亡きあとの御家人たちは、もはや北条一色です。頼家には、北条の敷いた(強いた)レールから抗う力は、もう残されていませんでした。

 

結局、頼家は隠居させられて伊豆の修善寺へ幽閉されます。

 

こうして…第三代鎌倉将軍は…頼朝の次男である「源実朝」へと受け継がれるのです。

 

それにしても…北条義時の闇落ちが酷いものですね。頼家の追放、そして頼家の嫡男・一幡の虐殺。世を安定させるためには、対抗馬を消すこと。そのことを良く分かっていました。このあたり、いとこや弟たちを次々と滅ぼしていった頼朝から深く学んでいたのでしょう。

 

北条一族が、その政権の正統性を主張するために書かれたと言われるのが、この『鎌倉殿の13人』の原典ともされている「吾妻鏡」です。

 

この「吾妻鏡」を愛読し、自らの天下取りと政権安定化に参考にしていたとされるのが、江戸幕府を開いた「徳川家康」です。

 

今回、実朝(千幡)の三代将軍就任にあたって、頼家の追放と一幡の虐殺を命じた北条義時の姿勢は…その400年後に、豊臣秀頼とその子供たちを虐殺した家康の行動と同じ。

 

彼らに共通していた認識は、「争いの種になりうる芽は早いうちに摘み取る」ということ。頼朝→義時へと受け継がれたこの姿勢は、やがて北条一族による独裁という形で、武家による安定政権を生み出すのです。

 

なお…後に三代実朝を死に追いやるのが、兄・頼家の子…後に「公暁」と名付けられる男です。御所に現れた…比企の尼の生霊(?)は、まだ小さかった彼に呪いの言葉を吐いて…彼を悲劇の運命へと導くのです…。

 

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