岩手県第2の都市はどこだ!?
全国には47の都道府県が置かれています。その47の都道府県内には、政治の中枢として機能する県庁所在地が置かれていますよね。
大抵は、その県内で最多人口の都市が県庁所在地とされることが多いです。ですが…最大都市に次ぐ「第2の都市」って意外と知られていません。
そんな、都道府県内の『第2の都市』に焦点をあてた連載【都道府県No.2物語】!人口ランキングを基に、今回は『岩手県』の第2都市を探っていきます!
こんにちは!全国各地を旅行して、その土地土地のことを考えている旅人サイファです。
毎週月曜日は毎回ひとつの県を取り上げた~都道府県No.2物語~をお送りしています。
2023年版更新!最新ランキング!
第1位 盛岡市 28.6万人
第2位 奥州市 11.0万人
第3位 一関市 10.8万人
第4位 北上市 9.3万人
第5位 花巻市 9.1万人
2023年最新データでも、上位に変動はなさそうです。第2の都市は『奥州市』がその座を死守していますが…お隣一関市との差もわずか!要注目ですね。
岩手県の歴史
岩手県は、北海道に次ぐ日本で2番目に大きな面積を誇る巨大な県です。江戸時代までは、その大部分が盛岡藩南部家の領地でした。また伊達領の一部(一関市周辺)も県域に含めています。
概ね現県域の北部3/4が南部領(ややこしい)、南部1/4が伊達領(ややこしい)でした。実はこの両者も、津軽ほどではありませんが仲は相当悪く…江戸時代中期まで、国境線を巡って争った歴史があります。東北新幹線で言えば、水沢江刺駅までは伊達領、北上駅から北が南部領になります。
県土は全体的に山がちで、大きな平野は中央部に南北に流れる北上川に沿ってのみ形成されています。そのため、県内の都市もそのほとんどがこの街道沿いか、太平洋岸に集中しています。
岩手県の県庁所在地
岩手県の県庁所在地は「盛岡市」ですね。ここは南部家の本城が置かれ、城下町から発展した都市です。江戸時代には盛岡藩20万石の城下町として栄えました。
学才の集まる町としても知られ、原敬(内閣総理大臣)、石川啄木、新渡戸稲造、金田一京助など名だたる人物を輩出しています。
第2都市候補
まず筆頭に挙げられるのが、県域のほぼ中央に位置する花巻市!新幹線停車駅(新花巻駅)もあり、また県内唯一の空港(花巻空港)も有する、県内交通の要衝です。和賀稗貫地域の中心都市で、わんこそば発祥の地でもあります。
次に候補に挙がるのが、海沿いの宮古市です。海岸沿いに南北に伸びる交通路と、県都盛岡へ伸びる東西交通路との接点で、三陸海岸の中心都市とも言えそうです。平成の大合併を経て、県内最大の面積を誇る市へと拡大しました。
奥州市も隠れた有力候補!水沢市と江刺市他の広域合併にって誕生した新しい市です。
実は国内でも最大クラスの面積を誇る扇状地を有しています。かつて奥州藤原氏は平泉に館を置く前はこの辺り(水沢、江刺)を根拠地として東北を治めていました。
一関市
県内最南端の一関市は、仙台と盛岡のほぼ中間に位置し、岩手宮城両県の橋渡し的な役割を担っています。奥州藤原氏の時代には、平泉の南の出入口として重要視された土地でした。また江戸時代以降は、伊達藩の支藩である一関藩が立てられ、代々田村家(政宗の正室の実家)が治めていました。
人口ランキング推移
県内の人口ランキングを1980年、1990年、2000年、2010年と並べたのがこちらの表です。
いやはや!なんと面白い!ここまで上位に変動がある県は珍しいです。
トップは県都の盛岡市が圧倒的!唯一の20万都市から30万都市へ脱皮しようかとする勢いを見せています。
1980年に第2位だった花巻市は、2→2→3→4と順位を落とし、第3位&第4位だった釜石市と宮古市の三陸勢はあっという間に上位から姿を消してしまっています。
代わって台頭するのが、奥州市と一関市という、旧伊達領の二都市!2010年には第2位、第3位を占めるようになっています。
さて…変動の激しい岩手県のNo.2争いは!?
2021年!岩手県第2の都市はここ!
それでは!2021年10月の人口ランキングから最新の岩手県内最新人口データを見てみましょう!
第1位 盛岡市 28.8万人(全国73位)
第2位 奥州市 11.1万人(同232位)
第3位 一関市 11.0万人(同236位)
第4位 北上市 9.3万人(同280位)
第5位 花巻市 9.2万人(同283位)
結果はやはり熾烈!!最新データでは、わずか0.1ポイント差で奥州市が第2都市の座を射止めました!しかし3位の一関市との差はごくわずか。いつひっくり返るか分かりません。また、4位争いもまた熾烈!こちらも0.1ポイント差で北上市が花巻市をリードしています。
第2位の「奥州市」は、2006年に水沢市と江刺市を中核に、周辺の前沢町や胆沢町、衣川村が広域合併して誕生しました。県内でも、一関市に次ぐ2番目の面積を有しています。
かつて、日本の原住民であった縄文人(蝦夷)の首領「アテルイ」が率いたのも、この辺り胆沢の軍団でした。
そして平安時代後期には、奥州藤原氏の拠点ともなっていた現在の奥州市一帯。古来から「東北の首都」を担うだけの地力を備えた土地なのかもしれませんね!
しかし、第3位の「一関市」との差はごくわずか。しばらく、この両市によるデッドヒートは続くかもしれませんね!
…あれ?この両市と、その間に挟まれた世界遺産の町「平泉町」も巻き込んで合併すれば、県都「盛岡市」も凌ぐんじゃない?
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