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四戸どこいった!?一戸、二戸、三戸…八戸、九戸!北東北に散らばる●戸とは?

青森県岩手県の県境一帯散らばる●戸のナゾ!】一戸、二戸、三戸…これなんだ?

 

不思議に思っていた方も多いかも?日本地図を見ていると、青森岩手の県境周辺に、いやに目につく地名があるな…と。

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それがこちら。青森岩手の県境一帯に散らばる一戸、二戸…八戸、九戸。一から九まで一見不規則に並んでいますよね。

 

こんにちは!先日青森県にお出掛けして参りました旅人サイファです!

この時は、八戸市に宿泊したんですけど、そもそも「●戸」って…なんなんでしょう?

 

よくよく調べてみると…一戸、二戸、そして九戸は現在岩手県内に位置しています。三戸、五戸、六戸、七戸、八戸は現在青森県に属していることが分かります。なぜか…四戸だけが存在しません!

この、一 ~ 九までの「●戸」は、奥州藤原氏の時代、東北開拓の際に作られたようです。現在でも、町や村、市などの違いはあっても四戸以外は全て自治体として名を留めています。

 

実は、一戸~九戸があるこの辺り一帯は「糠部郡(ぬかのぶ-)」と呼ばれていました。「糠部」…聞きなれない言葉ですが、その語源はなんと「馬のエサ」!

 

かつてこの辺りは、名馬の産地として有名でした。その馬のエサを確保し、名馬を産出する、今でいう牧場的なものが多数作られたのです。

南から第一牧場、第二牧場、第三牧場…最北部に第七牧場を作った後で海岸沿いに南下して、最後に第八牧場、第九牧場が作られます。この牧場集落を「戸」と称したのが、現在に至る「一戸」「二戸」…のルーツのようなんです!(※諸説あり)

 

◇ 「戸」の由来
 
 青森県にある”戸”の付く地名は、三戸町・五戸町(以上、三戸郡)・六戸町七戸町(以上、上北郡)・八戸市の5つです。ほか、岩手県には一戸町(二戸郡)、二戸市、九戸町(九戸郡)の3つがあります。四戸(しのへ)は現在はありません。なお、一戸から九戸は地元の人の名字にもなっています。こちらは一から九まですべてそろっています。
 平安時代後期の奥州藤原時代に、現在の青森県東部から岩手県北部にかけて糠部(ぬかのぶ)郡が置かれました。さらにそのなかを9つの地区に分けたときに、一戸から九戸の地名が付けられました。この場合の”戸”は”部”、つまり、”○○地区”くらいの意味でしょう。”七戸(しちのへ)”なら”第7地区”という意味になります。ほか、”戸(へ)”の意味については、「牧場の木戸のあった場所」、とか、「蝦夷(えみし)平定の際に残した守備兵の駐屯地〔柵戸(きへ)〕」など、いろいろな説があります。

青森県史ホームページより

 

なるほど!やはり諸説あるようですね。いずれにせよ…ただ単にナンバリングしただけの村がルーツのようですね。

 

ちなみに、現在は失われている「四戸」ですが、実はこのブログでも一度ご紹介しているのを覚えていらっしゃいますか?

それが南部家の守護神として尊敬を集めた神社「櫛引八幡神社」です。現在では八戸市の市域に含まれている櫛引一帯は、かつて「四戸」といい、神社も「四戸八幡」と呼ばれたこともあったとか!

その後、時代の流れによって消えていった「四戸」。なぜ四戸だけが失われたのか?というのは現在でも定かではありません。一説には、「死」と繋がる「四」の字が嫌われたとも言われています。

 

結論!

現在、地名としては失われてしまった「四戸」。しかし!現在の「櫛引」の地は元々は「四戸」!以前はちゃんと存在していたのです!

一戸、二戸、三戸…といった「●戸」の数字は、ただの通し番号!「戸」は牧場集落を意味していました!(諸説あり)

 

ちなみに…現在でこそ青森県岩手県に分断されていますが、古代当時は、あの辺り一帯は「陸奥国糠部郡」で同じ国であり同じ郡内でした。明治時代に、勝手に県境を引かれたため、現在のような分断された形になっています。