こんにちは!全国各地の名所を旅している旅人サイファです。
【青森県グルメ取材旅行記】も3日目、この日は朝一番で青森県内最大の城下町弘前へ向かいました。
港町青森はそれほどでもありませんでしたが、内陸部に入るとさすがに残っている雪の量が多くなりますね。3月とはいえ、まだまだ春は遠そうですね。途中の国道7号線からは、真正面に雪を被った岩木山が綺麗に見えていました!美しい!
さて、弘前市内へ到着しました。弘前市役所の駐車場に車を止めて散策をしますが…園内はこの景色。3月の弘前はまだ真冬!
ただ、この時期ならではの良い点もありました。
それは、「入園料が無料」ということ!実は『弘前城公園』は例年11/24~3/31までは冬季閉鎖期間なんです。と、いっても閉鎖されているのは天守閣内部や資料館などだけですので、通常は有料区域の本丸や北郭の散策だけならむしろお得!
『弘前城』といえば、桜の名所として有名ですが、こんなに雪に包まれたお城も良いものです。お堀もご覧の通り真っ白!
本丸へ至る赤い欄干橋もこの通り!本来はこの橋の向こう側に三層の天守閣が聳えていましたが、現在は石垣の修復工事のため移動させられています。
橋を渡って本丸に入ると…見えてきました天守閣!
実は『弘前城』の天守閣は、日本に12しか残っていない貴重なものなんです。こちらは、国指定の重要文化財に指定されています。
「この時、急におさらいクイズ出されて焦りました。。。高知城覚えててよかった^^」
本来とは違う位置に置かれている天守閣!石垣の工事を終えたら、また元の場所に戻されてしまうので、この姿はまたレアな1枚になるかもしれませんね!
ところで…ここは現在『弘前城』と呼ばれていますし、住所も『青森県弘前市』です。
ですが?
実は、江戸時代初期までは、弘前なんていう土地は存在していませんでした。
え?は?
実は、この地を『弘前』と名付けたのは、津軽藩二代当主「津軽信牧」その人。それも1628年8月20日のこと。つまり、江戸時代初期の時点では「弘前藩も弘前城も存在していなかった!!」のです。
元々この地は、『高岡(鷹岡)』と呼ばれる土地でした。初代藩主「津軽為信」が築城を始めた際は、あくまでも「高岡(鷹岡)城」として築城していたのです。
しかし1627年、この城で悲劇が起こります。この地を襲った落雷により、築城当初から城のシンボルとして聳えていた五層の大天守閣が炎上!しかも、内部に貯蔵していた火薬に引火したことで大爆発を起こし、天守閣はおろか本丸御殿までもが焼失してしまうのです。
そんな悲劇の記憶を一新したかったのか…当時の藩主「津軽信牧」は、翌年、再整備した城郭の名前を「高岡(鷹岡)城」から『弘前城』へと改名します。この時に、城下町の名前も一新!『弘前』という新たな名前で再スタートを切ったのです。
この日が、1628年8月20日。
この日から、津軽家の領地は『弘前藩』となり、居城は『弘前城』と呼ばれるようになるのです。それまでは「弘前」なんていう場所は無かったんですよー。
ちなみにこの『弘前』という名称の由来ははっきりしません。
など様々言われています。
いずれにせよ、江戸時代初期には「弘前藩」も「弘前城」もして居なかったんですね!これは新たな発見でした!
※そもそも「藩」という言葉が公的に使用されたのは明治になってからと言われていますが
アクセス
東北自動車道 大鰐ICより25分
営業時間
9:00-17:00
※さくらまつり期間中は7:00-21:00
冬季は24時間立ち入り自由
定休日
例年11/24~3/31
入場料金
大人320円 子供100円
冬季は入園無料
駐車場
有料駐車場あり
アドレス
0172-33-8739
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