こんばんは!旅人サイファです!
NHK大河ドラマ【鎌倉殿の13人】ざっくりコラムをお届けします。
日本の1/3とも言われる強大な勢力を持った奥州藤原氏の元へ、九郎義経が合流しました。
それまで、藤原秀衡の元で結集していた奥州藤原氏。しかし、彼の死後、力を合わせるべきその息子である藤原泰衡と藤原国衡兄弟は仲が悪く…一枚岩とは言えぬ状態でした。
この兄弟、実は複雑です。
国衡は兄ながら、側室の子。一方、泰衡は弟ながら、正室の子である嫡子です。この二人は昔から不仲として知られていました。
両者の父である秀衡は、自らの死後に両者が仲違いするのを恐れ…なんと自らの妻(泰衡の母)を国衡へ嫁がせるという大胆な手をもちいてまで、両者の絆を固く結ばせようと苦慮します。
しかし結局…両者は反目。鎌倉方にそこを突かれて、藤原氏は滅亡します。九郎義経は、鎌倉方の讒言に乗せられた泰衡によって討ち取られ、その泰衡もまた、鎌倉勢に攻められ命を落とすのです。
ただ…いくら北条義時が主役のドラマとはいえ、義経最後の場面にまで義時が立ち会うのは…いかがなものか?少々でしゃばりすぎな気もしないでもないストーリー展開でしたね。義経と義時が最後の言葉を組み交わすシーンは、素直に感動しましたが。
さて九郎義経は、首になってようやく鎌倉へ帰還しました。
平家追討の任を受け、鎌倉から出陣したのが1183年。一の谷、屋島、檀ノ浦と連戦連勝して平家を滅亡させたのが1185年。そして頼朝から謀反の疑いをかけられ平泉に身を寄せたのが1187年。
そしてその2年後…ようやく鎌倉へ戻ってこれたのが1189年。しかし!この時の義経の帰還は…討ち取られた首級だけの変わり果てた姿でした。
平家追討のために鎌倉を出陣してからわずか6年。一瞬の炎のように燃え上がり、あっという間に消えていった義経。
ようやく対面した兄頼朝からかけられた『よう頑張ったな…九郎。一の谷、屋島、檀ノ浦、どんな戦だったか…お前の口から聞きたかったぞ』という言葉。
これこそ…生前、義経が最も欲しかった言葉だったのかもしれませんね。
兄と弟。お互いの疑心暗鬼が生んだ悲劇でした。
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