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【鎌倉殿の13人】ざっくりコラム 第19話 この時、人知れず鎌倉時代が始まった

こんばんは!旅人サイファです!

NHK大河ドラマ【鎌倉殿の13人】ざっくりコラムをお届けします。

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もはや修復も不可能か…

源頼朝と九郎義経の反目が決定的になってしまいました。

 

『仲直りしたいけどできない』

兄弟喧嘩は子供の喧嘩と同じ。

 

九郎義経を縛っていたのが、後白河法皇から授けられた検非違使の役目です。

検非違使とは、

「非違(不法、違法)を検察する天皇の使者」の意。京都の治安を維持する役割。

この役目があるかぎり、義経は京を離れることができない。

 

それを見越して、頼朝が練った策が、国司任官。通常、地方の長官である地方国守(今回は伊予守)になると、当然京にいることができないために、検非違使などの任務は解かれるのが常でした。

 

しかし、そこら後白河法皇もさるもの。敢えて検非違使の任を解かないことで、義経を雁字搦めにするのです。

そもそも、頼朝と義経を離間させたがっているのが、日本一の大天狗と称された後白河法皇その人本人。

 

後白河法皇は、義経へ頼朝追討命令を出したかと思ったら、頼朝へ義経追討命令を出す始末。まさに朝令暮改とはこのこと。右へ左へ、異なる命令を出すことで武士達を翻弄します。

それもそのはず。法皇が望むのは、武士の強大化を阻むこと。あくまでも天皇家主体の世を永らえること。

 

結局、後白河法皇に翻弄された頼朝と義経は、誤解を解けぬまま…今生の別れとなります。政治力の頼朝と軍事力の義経。両者が固く手を結んでいたならば…鎌倉の世ももう少し安泰だったかもしれません。

そういえば、今話で…ひとつ決定的な取り決めが行われていたのに気が付きましたか?

 

 

それは北条時政・義時親子が、京に上り後白河法皇から引き出したもの。

それまで、東日本だけに過ぎなかった徴兵権と年貢の徴収権を、義経追討の混乱に乗じて西日本にまで拡大させたこと!義経追討の院宣を出してしまったがために断れなかったこの申し出を、鎌倉政権は最大限に活用します。

 

あの瞬間。平安時代は終わりを告げ、鎌倉時代が始まったとも…言えるのです。

まさに「この時、歴史が動いた」瞬間でした。当時者は誰も気付いていなかったあの時。あの瞬間。あの一言から、鎌倉は始まったのです。

 

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