こんにちは!旅人サイファです。
淡路島を巡っている、年末年始旅行記の2日目。
「たこせんべいの里」を後にして、すぐ近くにある由緒正しい神社を訪れました。
それがこちら!『伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)』。
ここは、日本の最高神である「天照大神」の父神である「イザナギノミコト」とその妻神「イザナミノミコト」を祀っている神社です。こちらは旧淡路国の一宮でもあります。
冬晴れの中、真っ白な鳥居が印象的でした。
この日は12/30。年の瀬も押し迫っていて、参道には初詣客目当ての露店商たちがせっせと屋台を設営していました。
伊弉諾神宮の御祭神は「伊弉諾大神(イザナギ)」と「伊弉冉大神(イザナミ)」の二柱の神。この夫婦神は、国産み神話で日本列島の島々を作り出した創世神です。
妻の「イザナミ」は火の神を産んだ際の火傷が原因で死んでしまいます。その死後、夫「イザナギ」が死の穢れを払う禊をしている時に産まれたのが太陽の女神「天照大神(アマテラス)」と月の神「月読尊(ツクヨミ)」、海の神「素戔男尊 (スサノオ)」の三貴神です。
つまり、最高神「天照大神」らの親がここ『伊弉諾神宮』に祀られている「伊弉諾大神」なのです。
なぜ「伊弉諾大神」が淡路島に?実は、「イザナギ」「イザナミ」夫婦が初めに産んだ国土が、ここ淡路島なんです。(※オノコロ島除く)
※Wikipediaより
「天照大神」らを産んだ「イザナギ」は、この世の統治を彼女らに任せ「淡路国の多賀に幽宮を作りそこで息を引き取った」と日本書紀に書かれています。
一説によると、「伊弉諾大神」の御終焉の地を御陵とし祀ったのが、神社の走りとも言われています。つまりこの地は日本最古の神社とも!?
現在建てられている社殿は明治15年に建てられたものです。
この社殿はまさに「イザナギ」の御陵の真上に建っているそう!かつてはこの辺り一帯は禁足地であり、社殿の前にある放生池はその御陵の濠だったとも言われています。
実は、この「イザナギノミコト」が隠居生活を送り終焉を迎えた地と言われる有名な神社が、日本に二つあることをご存知でしょうか?
ひとつがここ、淡路の『伊弉諾神宮』。そしてもうひとつが滋賀県にあります「多賀大社」です。むしろこの逸話は、どちらかと言うと多賀大社の方が有名かもしれません。
しかし…筆者はこちら淡路島の説の方が本物、滋賀県の多賀大社は誤った伝承ではないか?と考えています。
その根拠は、古文書での記載。
滋賀県の多賀大社は、古事記の写本のひとつである真福寺本の中に「淡海国(=近江の古名)の多賀に幽宮を営む」と書いていることを根拠に、かの地を「イザナギの幽宮」であるとしています。
それ対し、日本書紀の記載は全て「淡路国の多賀」と書かれているのです。また古事記の真福寺本以外の別版も全てが「淡路の多賀」と記載されています。
「淡海」と「淡路」。これ…単に真福寺本の書き写しミスなんじゃないでしょうかね?
また、近江の多賀大社が「大社」を号しているのに対して、筆者はかねてから疑問に思っていました。通常、皇室の祖先神を祀る神社は「神宮」を名乗っています。もしかしたら、この辺りの伝承の不確かさもあって「神宮」を名乗るのを憚ったのかもしれませんね。
ちなみに、江戸時代には既に「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」など、滋賀県の多賀大社を称える歌と共に庶民の参詣で賑わったと言われています。この流行りも…もしかしたら勘違いの結果か?もしくは当時の宣伝広告の効果か?
もちろん、滋賀県の多賀大社も素晴らしい神社であることに変わりはありません。しかし、「伊弉諾大神終焉の地」と言う伝承は、こちら『伊弉諾神宮』の方が説得力があると思いませんか?まあ、これもあくまで伝説ですけどね(笑)
さて、『伊弉諾神宮』の境内にはもうひとつパワースポットがあります。それが、こちら「夫婦クス」の巨木!
伊弉諾神宮の夫婦クス根回り12.40m、幹囲8.00m、幹は地上2.25mで二つの支幹に分かれ、それぞれの幹囲は5.35mと3.75mである。
樹高約30m、枝張りは南へ16m、北へ12mある。
樹齢は約900年(!)と言われている。
このご神木の見事なこと!1本の根元から二本に分かれて寄り添うさまが、まさに夫婦神らしい出で立ちですね!触れてみると、ほんのり暖かさを感じます。しっかりパワーを頂戴して…次のスポットへ向かいます。
伊弉諾神宮
アクセス
神戸淡路鳴門自動車道 津名一宮ICより5分
開門時間
24時間参拝自由
定休日
年中無休
参拝料金
無料
駐車場
参拝者用無料駐車場あり
アドレス
0799-80-5001
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