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薩摩藩独特の外城制度「麓」とは何か?

こんにちは!旅人サイファです!

昨年秋に鹿児島を訪れた際に、県内各地の『麓(ふもと)』の町並みを歩いて来ました。f:id:traveler-cipher:20220216093026j:image

 

主な「麓」の過去記事です

『麓』とは、江戸時代に幕府より課せられた「一国一城令」に反して作られた、薩摩藩独特の外城制度です。

一国一城令」とは、各地の大名の過剰な防御力・軍事力を削ぐ目的で作られた、大名統制策のひとつです。自領内に城はひとつのみ、複数の国にまたがる大大名は各律令国につき城はひとつずつのみとする命令です。

 

九州の南端である薩摩大隅を領していた島津家は、本城の鹿児島城(鶴丸城)を残して、(表向きは)領内の支城を破棄しました。しかし薩摩藩は、領内各所に重臣を住まわせ、それらを実質的に「支城」として運用しています。

 

本来、支城の維持は「一国一城令」違反。しかし薩摩藩は、これらをあくまで「代官屋敷」として届け出て、幕府の追及をかわします。この、薩摩藩独特の支城制度を「外城制度」と言うのです。

 

1600年の関ケ原の戦い徳川家康が天下を取ると、1615年大坂の陣で豊臣家を滅ぼした江戸幕府は一藩には一つの城のみを認める「一国一城令」を発布しました。これに対して、薩摩藩初代藩主の島津家久は、自らの居城となる鹿児島城(鶴丸城)を築き、ここを本城とし、各地に点在する麓を外城として、薩摩藩全体を防衛するための拠点として武家屋敷群を整備していきました。

戦国時代末期、九州全土に覇権を唱えていた島津家でしたが、豊臣秀吉による九州征伐や、関ヶ原の戦いでの敗戦を受けて、薩摩・大隅と日向の一部に押し込められていました。

そんな島津家は、他藩に比べて多くの武士を抱えていました。しかし、江戸時代になると他藩との戦争は無くなり、武士達は働きどころを失います。

 

そんな武士達を、島津家は領内各地に配置します。彼らを本城の鹿児島城下に住ませるのではなく各地に地頭(代官)およびその配下として派遣し、彼らに自治を委ねたのです。

これを薩摩では『麓』と呼びました。

 

派遣された武士達は、平時は田を耕し農作業に従事し、いざ戦が始まった時はすぐに最前線の兵士として戦場に出られるようにしました。各麓に住んだ半農半士を「郷士(ごうし)」と呼びます。

 

薩摩藩独自の“外城制度”が生まれた歴史的背景とは

中世以来の守護大名であり、戦国時代末には九州全土を平定する勢いだった薩摩の島津氏は、豊臣秀吉の九州平定で敗れ、領地を大幅に削減されましたが、武士の数は減らしませんでした。このため、薩摩藩は他の藩より武士の割合が高くなり、全人口の4分の1程度を武士が占めていました。そこで、他の藩のように、本城である鹿児島城の城下に全ての武士を集住させることができず、独自の外城制度として、各地の山城の周辺に麓(武家屋敷群)をつくり、数十人から時には数千人を配置することにしました。こうして、各地に武士団の集住地が存在する、薩摩藩独自の制度が生まれたのです。

薩摩藩内に張り巡らされた『麓』による防衛ネットワーク。鹿児島の本城を「内城」と呼ぶのに対して、領内の支城群は「外城」と呼ばれました。この薩摩藩独特の支配制度を「外城制度」と言います。最盛期には、領内になんと120もの『麓』が作られたと言われています。

 

領内各所の『麓』は、中世国人領主が営んだ山城を背景とし、その山麓に作られた「御仮屋(おかりや)」と呼ばれる政庁(地頭屋敷)を中心として作られています。そして「御仮屋」の面前に縦横碁盤の目状に通路(馬場)を通して、その馬場に面して配下の武家屋敷並べています。

 

藩内各地に整備された最大120もの“麓”麓は、シラス台地の端にある山城跡と近くを流れる川に挟まれた、防御に適した場所に多く作られ、その数は、江戸時代末の薩摩藩領内には120カ所もありました。麓の中心には、「仮屋(かりや)」と呼ばれた役所や、私領の場合は領主の屋敷がありました。その周囲を「馬場」と呼ばれる何本かの広い道と、人が歩ける程度の狭い道とで町割され、その間に武家屋敷がそれぞれ隣接するように配置されました。


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文化庁は、2019年に薩摩の麓群を日本遺産に指定しました。

現在指定されているのは…

の12箇所です。

もちろん、最大120もあったとされる領内各地の「麓」からすればごく一部ですが、このにリストアップされているこれらは、麓と武家屋敷の風景がよく残されている、どれも素晴らしい町並みが魅力です。

 

特に、出水麓と知覧麓の武家屋敷群はその町並みがとても良く保存されています。

鹿児島へお越しの際は、ぜひ一度立ち寄って見みてください!おすすめですよ!