皆さんこんにちは!旅人サイファです。
皆さん、疑問に思ったことはありませんか?全国47の都道府県がありながら、なぜ北海道だけが「道」なのか?
47都道府県のうち…都は東京都ひとつ、府は大阪府と京都府のふたつ、その他43は県とされています。しかし唯一、北海道だけが「道」。
「都」や「府」は、首都やそれに準ずるものとして東京、大阪、京都にのみ付けられていますが、基本的にはその他の県と同じ過程で成立しています。
ですが、北海道の「道」は全く別物。他の県や都、府とは別の過程で作られたものなのです。
実は『北海道』は…そもそも1つの県と同列に扱うものではなかったんです。
『北海道』と同列に扱うべきものは、東海道、北陸道、山陽道、山陰道…など古代日本に配置された現代でいう「○○地方」と同等の区域なんです。
現在でも「東海地方」「北陸地方」「山陽地方」「山陰地方」といった使い方をされますが、元来『北海道』もあくまで地方としてのくくりなんです。
古代律令制ではこの、現在でいう「地方」に相当する東海道などの「道」をさらに細分化して全部で68の「国」に分けて統治していました。
「国」は現在の「県」に相当します。東海道でいえば、伊勢、尾張、駿河、伊豆、武蔵などがそれに当たります。
北海道は、明治時代まで正式な我が国の領土として認識されていませんでした。明治時代になって正式に、それまで「蝦夷島」と呼ばれていた北の大地を日本領土として編入させます。
この時に明治政府が新しく名付けたのが、地方名としての「北海道」なのです!
そしてその「北海道」の中には細分化された「国」が11国置かれました。
石狩、日高、十勝、釧路、根室…これらは現在も地名として残されていますね。
この後、明治四年から数度に渡ってに行われた廃藩置県によって、これら全国に80ほどあった「国」は廃止され、各地に「県」が置かれるようになりました。
まずは全国が3つの府と302の県に。
→やがてそれが統廃合を繰り返して75の府県に。
→そして最終的に、沖縄と北海道を除く45の府県へとまとめられます。
では北海道は…というと、土地も未開発、人口も少ないという理由で「北海道開拓使」という行政機関が置かれていました。しかしそれも10年ほどで廃止。
その後でようやく、道内に県が置かれることが決まります。あまり知られていませんが、実はかつて北海道内にも県が置かれていたことがあったのです!
それがこちら!
なんとなんと北海道内に…
という、3つの県が置かれていたんです!
詳しくはこちらで
北海道内に作られたこの3つの県がそのまま後世に残っていれば、1都2府47県で、東京都、京都府、大阪府の特別な3つの都府以外は全て県で統一されていたはず。「道」という特別な自治体が生まれることはありませんでした。
しかし…この「函館県」「札幌県」「根室県」は、わずか数年で姿を消してしまいます。その理由が、「県として成り立たせるほどの人口がいない」ため。特に根室県は、北海道の東半分という広大な面積に関わらず、成立当時人口1.6万人ほどしか居ないという悲惨な状況でした。どんなに頑張っても、ひとつの県として成立させることは厳しい状況ですよね。
結局、明治19年に3県は一斉に廃止消滅。わずか4年という短命な県でした。こうして、廃止された3県に代わり、これらを束ねる自治体として『北海道庁』が設置されることになります。
この『北海道庁』が、他の都府県と並ぶ『北海道』となるのはなんと戦後、昭和22年のこと。それまで北海道には知事はおらず議会もありませんでした。「北海道庁長官」が首長役を、「北海道会」が議会役を担っていたのです。
北海道知事、北海道議会が置かれたのはこの時、昭和22年からなのです。
こうして、この昭和22年になってようやく、1道1都2府42県の46都道府県になったのです。
このように、他の都府県とは全く異なる経緯で生まれた唯一の存在「北海道」。
そもそもは「東海道」や「北陸道」と同じ「地方名」のはずだった『北海道』。その管区内に作られた「県」が、単独で立ち行くだけの力が無かったがために数年で消滅…全部引っくるめて『北海道』として再びまとめられてしまったのです。
もしもお子さんに
「なんで北海道だけ県じゃないの?」
と問われたら…
「本当は北海道の中に3つの県があったんだよ。」
「人が少なすぎるから3つの県をまとめたのが『北海道』なんだよ。」
と、答えてあげてくださいね!
※こちらの記事は過去取り扱ったテーマを再構成、リライトしております。