本日放送のNHK大河ドラマ『青天を衝け』ざっくりコラムです。
冒頭で水戸藩主・徳川昭武(民部公子)が嘆いていたように、明治新政府に水戸藩の影はほとんど見られません。
その中心は薩摩、長州、土佐、肥前の四藩。いわゆる薩長土肥ですね。
そもそも『尊皇攘夷』というスローガンの本家本元は水戸藩。朱子学を極限まで煮詰めて純度だけを高めた『水戸学』は、世界情勢を無視した鎖国徹底、外国人排斥を唱え、天皇中心の世の中を目指すものでした。
しかし、日本がこの時取るべき道は『開国』しての『富国強兵』の一択。
当初は『尊皇攘夷』の元に戦った薩摩や長州が、下関戦争や薩英戦争で諸外国の強さを肌で感じ徐々に『開国』へ方針転換したのとは対照的に、水戸はいつまでも『尊皇攘夷』のまま。
ついには、思うように『尊皇攘夷』が進まないことにしびれをきたし、天狗党の乱という暴発で、国を憂える人材のほとんどを失うのです。
幕末期当初、時代をリードしていたはずの水戸藩。
しかし、その思想は純度を高めすぎたがために柔軟性を失い、時代に取り残されます。やがて明治維新がなった時…何も残せずに新政府からも閉め出されるという皮肉。
『尊皇攘夷』という流行り病を蔓延させ、新しい時代へ日本を動かした水戸藩は、いつの間にか…時代の足を引っ張る存在に成り代わっていたのです。
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