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大友氏も島津氏も配下に!一時は全九州を制覇!早すぎた英雄・菊池武光とは?【中九州旅行記番外編】

こんにちは!旅人サイファです!

今回は【中九州旅行記】の番外編、かつて全九州を制覇した英雄…菊池武光公のお話です。
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菊池武光…歴史マニアにでもなかなか知られていないこの人物。

実は一時期、九州全土を制覇したこともある名将なんです!

 

九州制覇と言えば、戦国時代末期の島津氏が有名です。

この時島津氏は、全九州制覇まであと一歩のところで豊臣秀吉の介入を招き、その野望は頓挫してしまいましたが…その200年以上前に、その島津氏すらも一時期配下に従え、九州全土を支配したのがこの菊池武光なのです。

 

まずはその略歴を見てみましょう。

菊池武光

南北朝時代の武将

肥後の豪族菊池氏の15代当主

 

  • 若年のころより、父である12代武時を補佐し各地を転戦
  • 博多の戦いで父武時が戦死したあと分家の当主として菊池本家を支える
  • 弱腰の弟に代わって菊池氏当主を相続
  • その後、征西大将軍として九州へ派遣された後醍醐天皇の皇子懐良親王と合流、菊池城を征西府の本拠地とする
  • 九州における南朝方の主力として北朝方勢力を掃討
  • 筑後川の合戦では北朝方の六万の兵力を四万の兵で破る大戦果をあげる
  • 九州内の北朝方勢力を一掃し大宰府に入城、征西府は九州全土を支配下に置く
  • 懐良親王-菊池武光による九州支配の体勢を確立、この支配は11年も続く
  • 九州を南朝方独立王国として染め上げた征西府だったが、1368年の東上作戦失敗を機に徐々に勢いを失う
  • 北朝により派遣された今川了俊らによって大宰府陥落、懐良親王菊池武光高良山へ逃亡
  • 1373年、高良山中にて菊池武光死去
  • その後、征西府も菊池氏も勢いを失い没落

 

なんと…!後醍醐天皇の皇子・懐良親王とタッグを組んだ菊池武光は、菊池城を九州の首都として、一時は九州全土を制覇!当時の九州の有力豪族である、少弐氏や大友氏、島津氏など名だたる氏族をも従わせているのです。

 

九州制覇の過程で起こった「筑後川の合戦」は、味方4万に対し敵方6万とも言われる、後の関ヶ原の戦いにも匹敵する規模の大会戦。(このふたつに川中島の戦いを合わせて日本三大合戦とも言われます)

この戦いの、南朝方の指揮を取った人物こそが「菊池武光」です。

勇猛果敢かつ百戦練磨!この人の時代に、菊池氏は最盛期を迎えるのです。

 

筑後川の戦いの際、菊池武光公が奮戦の末に血塗れになった刀を洗ったという地点には、「大刀洗」という地名が残されています。現在の福岡県三井郡大刀洗町がそれです。

大分自動車道には大刀洗PAがあるので、そちらをご存知の方も多いでしょうね。 

 

九州全土は、筑後川の戦いの後、こうして懐良親王&菊池武光のコンビによって完全に掌握されます。

中央の足利幕府&北朝国家とは別国家とも言える南朝派の『九州王国』がここに成立するのです。

その証拠に…その当時の中国大陸を支配していた明より、懐良親王日本国王とする使者が遣わされています。

 

この時、懐良親王は明の冊封体制(使者を遣わし中国大陸の王朝の臣下に入ること)を受け入れたとも言われています。

これは、対外的には懐良親王が日本の正統な統治者として認められたということ。

大陸との窓口である九州を統一するという偉業の一端が忍ばれますね。

※このせいで後の世に、足利将軍義満が明との貿易を結べず困惑したそうな

 

太宰府に入城した菊池武光の元には、九州全土の御家人や豪族が臣従してきます。その中には、薩摩大隅の島津氏や、豊後の大友氏といった、九州を代表する名族も含まれていました。

こうして、大宰府を拠点とした九州統一政府(征西府)は、懐良親王菊池武光の手によっておよそ11年もの間存続します。

 

しかし…中央で足利幕府=北朝勢力が体制を整えると状況は一変します。

足利方の名将・今川了俊に攻められた西征府は壊滅。懐良親王は八代へ逃れ、菊池武光は菊池を目指して落ち延びて行く途中で息絶えたと言われています。

ごくわずかな期間(と言っても10年以上)、九州の覇者として君臨した勇将・菊池武光

しかし現代では、よほどの歴史マニアで以外には、その名を知られていません。

それは、後の戦国時代や江戸時代まで、菊池氏が大名として残らなかったからでしょうか。

 

もしも菊池武光公が生まれたのがもう少し後…戦国時代であれば…『肥後に菊池武光あり!』と、種々の記録に残され、歴史もまた変わっていたかもしれません。

例えば、島津氏VS大友氏VS龍造寺氏の三國鼎立ではなく、菊池氏を加えた四ヶ国による九州戦国時代を迎えていたかも?

 

劣性の後醍醐天皇=南朝を支えた九州の名将・菊池武光

同時代を生きた、楠木正成新田義貞と並ぶ功績を残した武将にしては、知名度はイマイチなのが非常に残念。もう少し脚光が当たって良い、九州が誇る名将の話でした。

 

なお、菊池武光公の墓所は菊池城跡から程近い、正観寺にあります。

樹齢600年を超えるとも言われる樟の巨木の下で、今も菊池の町を見守っています。
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この樟の巨木…もしかしたら本当に菊池武光が生きた時代からここにあったのかも知れませんね…。

 

菊池武光

アクセス

九州自動車道 植木ICより40分

 

アドレス

熊本県菊池市隈府1272-2

0968-25-0513

 

正観寺 菊池武光墓所

アクセス

九州自動車道 植木ICより40分

 

アドレス

熊本県菊池市隈府1128

0968-25-0606

 

中九州旅行記その1はこちらです!

 

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