こんにちは!旅人サイファです!
先日から、全国の『郡』と東京都の『区』についてのまとめ記事を連載しておりました。
そんな中、さすが鋭い指摘をされる方もいらっしゃいますね!
Facebookの方から、こんな質問を受けました。
実はちょうど、『郡に属さない町村がある!』というテーマで記事を書き始めていたところでしたので…今回はこちらの記事です!
『全国にわずか9例だけ!町や村なのに郡が冠せられない特別な自治体!』
コメント投稿された方が仰っているように…実は、全国に散らばる町や村のうち、東京都島嶼群だけが、『郡』の付かない自治体なのです!
具体的な町村名はこちら!
これら、東京都に属する島々だけが、全国数多ある町村の中で、特別に『郡』に属していません。いわゆる、伊豆諸島や小笠原諸島の町村です。
これ、実は色んな紆余曲折を経た結果、このように特別なカタチになっていいるのです。
まずは、伊豆諸島小笠原諸島の帰属の流れを見ていきましょう。
伊豆諸島帰属の流れ
古代〜戦国時代
江戸時代
全国に市制・町村制が施行
島嶼特例 ※全国の離島には郡も町も村も置かれないとする指令
明治33年
大島、八丈島に村が発足
大正10年
島嶼特例廃止 伊豆諸島小笠原諸島以外の離島には郡が置かれ新たに町や村に
郡制廃止 ※全国の郡が有名無実に
利島、新島など他の島々にも村が発足
離島部にも普通町村制
流れを見て頂ければ想像しやすいと思いますが…伊豆諸島は明治時代にあっちこっちと所属が変わります。結局落ち着くのは明治14年に東京府所属となってから。
しかし…のちの小笠原諸島含めた東京府の島嶼群は、激烈な差別を受け続けます。
まず、離島には住所として町や村を与えられません。
そして、れっきとした東京府の住民にも関わらず、選挙権すら与えられません。
イメージとしては、帝国列強による植民地支配に近いかもしれません。
※青ヶ島村は特に酷い扱いを受けています
結局、本土と同じく普通町村制が敷かれたのはなんと昭和15年になってから…とごく最近なのです。
そして、ここがポイント!昭和15年に始めて本土と同じ普通町村となった際には…既に郡制が廃止(大正12年)されていたのです!
昭和15年にようやく本土の自治体と同じ町や村になった時には…既に郡制度は消滅した後。
そのため、伊豆諸島と小笠原諸島の町村には『郡』が冠せられることはありませんでした。
いかがでしたか?
伊豆諸島と小笠原諸島の町村にだけ『郡』が冠せられなかった理由。
ポイントは大正10年の島嶼特例廃止と大正12年の郡制度廃止。
この2年の間に郡、町、村が整備された沖縄、対馬、隠岐などの離島自治体は、郡が廃止される前に町や村が整備されたために、現在でも「●●県●●郡●●町」を名乗っています。
一方、東京所属の伊豆諸島や小笠原諸島では、それ以前の明治33年に『大島島庁』『小笠原島庁』が作られていたことが災いしました。
その他の島々のように『郡→町村』ではなく『島庁→町村』というカタチが既に出来あがっていたために、大正10年の『島嶼特例廃止』に準ずることなく、不思議なカタチのまま残されてしまったのでしょう。
もしも東京府所属でなく、静岡県所属のままでしたら…恐らく『静岡県賀茂郡大島町』『静岡県賀茂郡小笠原村』となっていたでしょうね。
ほんの数年の行き違いと、所属県の違いによって生じたのが、『全国でわずか9つだけ!郡に属さない町村』伊豆諸島と小笠原諸島の町村なのです。
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