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『青天を衝け』ざっくりコラム 第7話 尊皇攘夷という妄虚

本日放送のNHK大河ドラマ『青天を衝け』ざっくりコラムです。
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幕府内にあって、強硬な攘夷派であった水戸徳川成昭。最後の将軍、徳川慶喜の実父です。

厳格な尊皇攘夷思想にあったため、大奥からも煙たがられ、やがて幕府中枢からも追いやられてしまう人物でもあります。

水戸家は前回の記事でも述べた通り、徳川家中にあっても随一の天皇家派(尊皇派)。

そして徳川本家の家訓である鎖国を死守すべき(攘夷)と の考え方です。

この『尊皇攘夷』とは天皇を尊び夷敵を打ち払う…という意味で、本来は『尊皇』思想と『攘夷』思想は全く別物です。

幕末期における「尊王攘夷」という言葉の用例は、水戸藩の藩校弘道館の教育理念を示した徳川斉昭弘道館記によるものがもっとも早く、少なくとも幕末に流布した「尊王攘夷」の出典はここに求められる

(※Wikipediaより)

そもそもは、水戸徳川家独自のスローガンでしかなかった『尊皇』と『攘夷』。

これが長州や薩摩へ伝播し、やがて幕末のエネルギーの根本となるスローガン『尊皇攘夷』となり、日本中を動かすことになるのです。

しかし…時代は『尊皇』ではあるものの『攘夷』ではなく『開国』へ進んでいきます。 

それは、尊皇攘夷の急先鋒であった長州、薩摩が独自に対外国戦争(下関戦争、薩英戦争)へ踏み切り、全く歯が立たなかったことでようやく目が覚めた結果です。

結局妄虚でしかなかった『尊皇攘夷』思想。

明治維新は、攘夷→開国へ転換した長州、薩摩と、その二藩を結びつけた土佐、そして当初から開国派であった肥前の四藩によって成し遂げられるのです。

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