こんにちは!旅人サイファです!
今回は、先日記事にしました群馬県の伝統文化『上毛かるた』に関連して…こちらも地域に根差した【ウンスンカルタ】について記事にします。
上毛かるたについてはこちらから
【ウンスンカルタ】…初めて耳にする方も多いはず。
これ、実はかつて日本中で遊ばれていたカードゲームなのです。
かるた…といえば、『いろはかるた』や『百人一首』が有名ですよね。
平仮名で書くと、えらく柔らかな響きのある雅な日本語ですが、このかるたという単語…実はポルトガル語なんです!
時は戦国時代。火縄銃やキリスト教と同じように、当時のポルトガル人船乗りが興じていたカードゲームこそが、カルタ「carta」!
この単語、ポルトガル語での本来の意味は『トランプ』なのだそうです!
現代の日本版かるたとは異なり、絵合わせではなくカードゲーム全般を指すようですね。(※他に手紙という意味もあり)
このカルタは、南蛮船と共に日本各地に伝わります。
当時の日本人は、西洋人が興じるそのカードゲームを見よう見まねで覚え、後の世に『天正カルタ』と呼ばれる日本独自ルールのカルタが誕生させます。
この天正カルタは、江戸時代までの間にさらに絵柄が追加され、さらに発展させたオリジナルカルタを産み出します。
それこそが!今回のテーマ【ウンスンカルタ】なのです!
ちなみに『ウン』『スン』とは、ポルトガル語で
『ウン』=数字の『1』
『スン』=『最大』
『カルタ』=『カードゲーム』
つまり『1から最大までのカードゲーム』という意味!
全国的に大流行したこの【ウンスンカルタ】ですが、ある政治家の判断により一気に衰退します。
それは…歴史の教科書にも載っている『松平定信による寛政の改革』です。
この寛政の改革による『異学の禁』の方針で、ヨーロッパ風の文化は禁止事項とされ【ウンスンカルタ】も禁制とされます。
しかしこの幕府の方針を拡大解釈した各藩によって【ウンスンカルタ】は全国各地で禁止遊戯とされあっという間に廃れていきます。
だがしかしっ!
日本で唯一、肥後人吉(現在の熊本県人吉市)では、なぜか禁制とされずに、現代まで伝わる伝統遊戯として今に伝わっているのです!!
現在でも古い町並みが残る人吉市の加治屋町では、『ウンスンカルタの家』で当時の【ウンスンカルタ遊び】を伝えています。
人吉はかの司馬遼太郎が『日本で最も豊かな隠れ里』と称した藩。
肥後(熊本県)、日向(宮崎県)、大隅(鹿児島県)の3県の県境にあたる小盆地です。
どこから入るにも、険しい山を越えなければ入り込めないためか、独自文化が育った町です。
恐らく…幕府の厳しい目が届かなかったために、禁制とされた【ウンスンカルタ】もここ人吉では淘汰されずに文化として残されたのでしょう。
人吉を治めた殿様である相良氏は、鎌倉時代に源頼朝から人吉の領地を与えられてから明治維新までずっとこの地を治めてきたと言われる名族。
明治維新まで同じ領主が同じ土地を治め続けた例は、他に東北の南部氏と九州の島津氏ら数家だけとも言われています。
そんなところも、この【ウンスンカルタ】が人吉にだけ残された一因かもしれませんね。