こんにちは。旅人サイファです!
今回は海賊のお話!
海賊と言っても…麦わらでも髑髏(どくろ)マークでもありませんよ(笑)
まずは、この地図をご覧ください。
ここは瀬戸内海。
彼らはここで活動していました。
彼らの名は…村上海賊。
瀬戸内海を支配した日本最強の海賊です。
この本でかなり有名になりましたね。
『村上海賊の娘』
この村上海賊。村上水軍とも呼ばれる海の民。
瀬戸内海…現在の広島県と愛媛県を結ぶ、しまなみ海道の沿岸を支配した海賊集団です。
この辺りは狭いエリアに島が密集しており、潮流によって思うように船を進められません。
ところによっては渦潮が発生し、船ごと飲み込まれたら生きては帰れない危険なエリア。
村上一族は長年この地で生活し、この潮の流れを熟知していました。
日本における海賊とは、この危険なエリアの水先案内人。
彼らに案内料を払うことで、この危険なエリアを安全に通り抜けることができました。
この潮流の激しい海で生活しているのです。
当然、船の扱いは巧み。
我が国随一の船を操る技術をもった専門集団でもありました。
日本史に名だたる海戦。
毛利元就と陶晴賢との厳島合戦、毛利水軍と織田水軍との木津川合戦での村上水軍の大活躍は有名な話です。
先ほどの地図をもう一度ご覧ください。
我々陸に生活している身からすると、島があるおかげで生活もできるし、橋が架かって往来が便利になったりもします。
現在我々が行き来できるのも、しまなみ海道の橋が架かっているおかげ。
しかし、この地図を見るといかがでしょうか?
ガラリと印象が変わりますよね。
茶色が陸地、白が山もしくは湖のように見えてきませんか?
海の民は世界をこのように見ているのです。
この地図を見ると、瀬戸内海のこのエリアを通過するのがいかに困難だったかよく分かります。
そして、海賊衆がここを関所として封鎖するに最適だということも分かります。
彼ら海の民にとって海こそが陸地。海こそが道路。
海を通行するには島は邪魔なんです。
島の間の迷路のような回廊を抜けて通行しなければなりません。
だからこそ、難しい操船技術が必要になり海賊業が成り立つんですけどね。
我々陸の民と彼ら海の民。
価値観が全く異なることが理解しやすいかと思います。
ちなみに村上一族は、尾道近くの因島、しまなみ海道中央部の能島、今治近くの来島の3つの島を根拠に活躍しました。
特に能島水軍は当主村上武吉の勇猛果敢さもあり、日本最強の水軍として名を馳せました。
しかしこの三家の中で江戸時代まで大名として残ったのは来島村上家ただひとつ。
久留島家として名を変え、九州の内陸部、豊後森藩の大名として生き残ります。
だが…内陸地で海賊大名がどうなったか。
羽をもがれた鳥、牙を抜かれた獅子と同じ。
まさに水を奪われた鯱。
大人しい地方大名として明治維新を迎えることとなるのです。
彼も村上海賊の一族と同族です。
勇猛果敢な人物を多く輩出する血統なのかもしれませんね。