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豊臣秀吉も見逃した?九州の十字路・鳥栖という町の不思議

こんにちは!旅人サイファです!

今回は九州佐賀県の地方都市、鳥栖(とす)市についてのお話。

皆さん鳥栖という都市をご存知ですか?

佐賀県民に限らず、福岡県民等九州にお住まいの方には馴染みのある町ですが…意外に全国的な知名度はイマイチ。

鳥栖?どこ?

と言われることも多いこの町。

実はとても不思議な町なのです。

Google鳥栖と検索してみると…出てくるのは

など…現代の情報が占めています。


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この鳥栖市

九州の十字路とも言われる交通の要衝。

南北に福岡と熊本、鹿児島を結ぶ九州自動車道

東西に大分自動車道長崎自動車道

九州の東西南北を結ぶ中央点。

まさに九州のヘソとも呼ばれる地点がここ鳥栖なのです。

この交通至勉な土地をいかして、数多くの企業・工場が集まっています。

そして福岡のベッドタウンとして、現在は佐賀県内第三位の人口を有しています。

なにせ中心地の鳥栖駅から博多駅まで快速で36分!

県をまたぐとは言え、この好アクセスこそが鳥栖最大の魅力です。

これだけ重要な土地にも関わらず、この町には歴史スポットがほとんどありません。

普通、こう言った地味豊かな都市は大大名の居城となり大きな城と城下町が造成されるはず。

交通の要衝であり、筑後平野を擁する稲作豊穣の土地でもある鳥栖

しかし。

『土地の実力者が大きな城と城下町を造成した!』

『古くからの大寺院が建立された!』

『大きな市が立ち商業都市として賑わった!』

…などという逸話がほとんど伝わりません。

これだけの地力があるのになぜか?

その秘密はここを治めた勢力にあったようです。

戦国時代は筑紫氏という豪族が治めていましたが豊臣秀吉九州征伐で追放。

その後にこの地を治めたのは対馬府中藩・宗家』でした。

なんと、その本家は現在の長崎県対馬

九州と朝鮮半島との間に位置する国境の島、対馬藩の飛び地だったのです。

米のあまり取れない本家・対馬に代わり、ここ鳥栖周辺の稲作こそが宗家の生命線でした。

対馬は朝鮮との国境に位置する離島。

江戸幕府から朝鮮との国交は全て対馬藩の宗家を通じて行っていた家柄です。

ここに、鳥栖の隠れた魅力『売薬(ばいやく)』のルーツがあります。

鳥栖市の田代地区。ここは日本四大売薬業の地と呼ばれています。

(その他は富山、奈良、滋賀)

朝鮮との濃厚な繋がりを活かして、大陸からの薬の技術がここ鳥栖で醸成されたのです。

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鳥栖は地図で見るとこの辺り。

東西南北に延びる高速道路の十字路にあることが良く分かりますね。

大きな城下町でなかったために、歴史の薄いまま近代を迎えてしまった鳥栖

九州征伐を終えた豊臣秀吉がこの土地の価値を認識していたなら、恐らく小飼いの配下武将へ与えていたはずです。

何せ、北に小早川家の博多。

西に鍋島家の佐賀。

南に立花家の柳川。

四方に睨みを効かせる絶好の土地なのですから。

豊臣秀吉の見逃した九州の十字路・鳥栖

逆に古い歴史を持たないからこそ、現在の工場誘致やベッドタウンとしての繁栄があるのかもしれませんね。

まさに歴史の皮肉。鳥栖の話でした。