『なあなあ?兄さんどこ出身?』
『神戸やで』
『(…兵庫でええやん)』
こんにちは!旅人サイファです!
こんな会話、関西圏あるあるかも知れませんね。
なぜか県名よりも先に出てくる神戸。
兵庫県って不思議な県なんですよね。
西の大部分は姫路を中心とした播磨国。
中央の山岳部は篠山を中心とした丹波国。
旧国を5つも内包している県は他にありません。
また、日本海と太平洋(瀬戸内海)に両方に面してるのも兵庫県の他には、青森県、山口県、福岡県の3つだけ。
この3つは海峡の県なので当然と言えば当然。(北海道は除く)
なぜここまで優遇されたのか?
私は明治政府による『大阪弱体化』の余波と考えます。
江戸時代以前から、江戸と並ぶ大都市であった商都大坂。
この大坂(明治後大阪と改名)を中心とした大阪府の面積はかつて日本最小でした。
(現在は逆転して香川県がワースト)
これは表裏一対と考えます。
そもそも尼崎~神戸(須磨)までは摂津国。
元来がそれほど広い国でもない摂津国を、なぜわざわざ解体してまで兵庫県として独立させたか?
それは『神戸』という国際港があったから。
そしてこの『神戸』を大阪府に組み込みたくなかったからでしょう。
仮に神戸市が大阪府に組み込まれていたら?
商都大阪と港町神戸を有する、東京をも凌ぐ力を持つ自治体ができたでしょう。
大阪から神戸を引き離す。
その神戸を中心に据える県作りを義務づけられた兵庫県。
明治初年に作られた兵庫県ですが、この頃は江戸幕府の神戸周辺の直轄地を管理しただけ。
県としての体をなしていません。
(兵庫県HPより)
明治四年。
廃藩置県で作られた兵庫県は摂津国西部の五郡を領するに過ぎない小県でした。
北部は豊岡を中心とした豊岡県。
西部は姫路を中心とした飾磨県。
そして淡路島は本来の繋がりに従って徳島と合一され名東県とされていました。
(兵庫県HPより)
明治九年。
全国の府県の統廃合を画策していた明治政府。
近畿エリアで懸念されたのが、寒村と日本海の小港が連なる豊岡県の帰属問題。
経済的には豊岡1県としては心もとない。
山陰道で結ばれていた鳥取県との合併、もしくは姫路に帰属する飾磨県との合併の2案が出されました。
そこに鶴の一声をあげたのが明治の元勲・大久保利通内務卿。
大久保から「開港場である兵庫県の力を充実させるように考え直せ。」
ここです!!
この大久保卿の意思と一声こそが、現在の兵庫県の優遇の元になっています。
この意を受けた官僚は、小県であった兵庫県に豊岡県、飾磨県を吸収合併。
さらにわざわざ名東県から淡路島を切り離して付属させる荒業まで披露して、現在の大兵庫県が完成するのです。
(兵庫県HPより)
大阪府への一極集中を避けたい。
そして開港場・神戸へ力を注ぎたい。
こうした明治政府の意向のおかげで現在の広い兵庫県があるのです。
開港都市『神戸』のために作られた兵庫県。
まさに神戸という港町のために作られた県、それが兵庫県なのです。
それにしても?
淡路島までは忖度し過ぎかと(笑)
以上!